国譲り前の出雲の
大國主命と渡海の御諸山の神

   もう一柱の渡海の神があり、大国主と一緒に国の経営にあたる。その条件として大和国の御諸山=三輪山の山頂に祭れという。これが「御諸山の神」(『記』)である。この渡海の神である「御諸山の神」は大穴牟遅の幸魂・奇魂(『紀』)とされている。また『大神神社の由緒』では、「大國主神が自らの和魂を大物主神として祀った」とある。まとめると、「三輪山の神」は大物主となっている。後の世に、この大物主と勢夜陀多良比売(せやたたらひめ)との間に産まれた比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすきよりひめ、媛蹈鞴五十鈴媛)が神武天皇の后となる。他方、媛蹈鞴五十鈴媛は、大物主の子の事代主と三島の玉櫛姫との間に生まれたともある。ところが、なぜか、「三輪山の神」が崇神天皇に祟るのである。その詳細は崇神天皇のところで記述する。この「渡海の御諸山の神」譚は、大國主の統括権が大和国に及んでいたことを物語る挿話であると私は思う。