十二代景行天皇
(4)草薙剣は青銅剣である

   それでは、熱田神宮の御神体草薙剣(天叢雲剣)は青銅剣であるのか鍛造の鉄刀であるのか? この宝剣は、天智七年(668年)に新羅の僧・道行により熱田神宮から盗みだされ、新羅に持ち出されようとした。しかし船が難破して失敗し、その後は宮中で奉祭されていたが、天武天皇の御代に、熱田神宮に戻されている。この神剣は、誰も見る事が許されていないが、江戸時代に一度、熱田神宮の宮司たちが夜、密かに、この御神体を見たという記録がある(『玉籤集裏書』Web)。それによると剣の長さは、二尺七、八寸(約85cm)。刃先は菖蒲の葉のようで、中ほどには厚みがあり、また元のほうの六寸ほどは魚の背骨のように節立っており、全体的に白色であったとなっている。剣は樟の木箱に入れられ、さらに石の箱とそれを入れる樟の木の箱に入っていた。石の箱の周囲と樟の木の箱の周囲には、それぞれ赤土が詰められていた。

   以上の状態から考察すると、剣の形から両刃の剣であり、柄の形から鋳造されたと判断される。それでは、白銅剣か鉄剣かとなると、七世紀から江戸時代まで保存されても剣が白色であったことから、入れ箱に詰められた赤土が剣の酸化を防止してきた事が窺える。問題は樟の木の箱である。樟は樟脳を含んでおり、防虫には最適である。しかし、この樟脳がくせものなのである。私事になるが小学生の頃夏休みの宿題で昆虫採集をした。当時はステンレスの昆虫針などなく、鉄の待ち針であった。父のワイシャツの紙箱に鉄針で蝶やカブトムシを留め、学校に提出した。その際防虫用に母のタンスから樟脳を持ち出し、箱にいれた(後で見つかり母から怒られた。樟脳も高価であったのだ)。当時には化学防虫剤など陰も形もなかった。学校から返却された後、大事にしまっておいて、翌年取り出してみると,蝶は虫に食われてぼろぼろ、鉄針も錆だらけでぼろぼろになっていた。実は、昇華した樟脳は鉄を腐食させるのである。樟脳による鉄針の腐食の話は、往時の昆虫少年の思い出話にもよく見られる。草薙剣が二重の樟の木箱に入っていれば、酸化は防止されても樟脳の腐食作用は受ける。この理由から、鉄剣であれば表面は腐食する。剣が綺麗な白色であれば、錫の含量の高い青銅剣であると判断される。草薙剣は青銅の鋳造品といえよう。錫の含量の高い青銅は表面が黒く錆びていても、磨けば、銀白色の地色を露にする。奉安される前に丁寧に磨かれたのであろう。この草薙剣(天叢雲剣)の出自は崇神天皇章で詳述した。