十三代成務天皇
(2)武内宿禰の出自

   次に武内宿禰について考察しよう。成務天皇は同じ誕生日ということで武内宿禰を特に寵愛したとする。すでに、景行天皇紀二十五〜七年に北陸道と東海道に蝦夷の偵察に出向いている。その後、成務三年、武内宿禰は大臣に抜擢されて、政務を統括する様になった。こうして朝廷内にしっかりと権力基盤を確立した。武内宿禰はその後、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇そして仁徳天皇に仕え、政務、神事、軍事に活躍する。

   その出自であるが、父系は、狗奴国後裔の皇族孝元天皇が穂積臣欝色雄の妹欝色謎(うつしこめ)を娶って産ませた彦太忍信(祖父)の子、屋主忍男武勇心である。欝色謎皇后は、饒速日の御子宇摩志麻治を祖とする物部系である。欝色謎皇后はまた、大彦と倭迹迹姫も産んでいる。母系は、饒速日とともに天磐船で東遷した警護32人のうちの一人の天道根の後裔、莵道彦の妹の影姫である。天道根は天照大神(鏡)を鋳造する時に作った小型の鏡(日像鏡の真経津鏡)を祭る日前国懸神社を奉祭する紀伊国造である。東征中の磐余彦(神武)と戦った名草戸畔の父とも推察される。天道根は、日前大神と国懸大神(日像鏡と日矛)の二種の神宝を献上して帰順したことから、磐余彦は、懐柔のため紀伊国造に任命したのだ。莵道彦 (宇豆比古) は、天道根命より六代の孫とされる。さらに、成務朝に、饒速日命の五世孫の大阿斗足尼 (おおあとのすくね) が熊野国造に定められた(『先代旧事本紀・国造本紀』)とある。天道根とともに熊野(いや)に入っていた天香語山の裔孫が、熊野国造となったことになる。当然、熊野国造と紀伊国造との間には交流があったとするのは合理的である。したがって、影姫は邪馬台国の天道根と天香語山の血統を引く裔と見なすことも出来よう。つまり、屋主忍男武勇心と影姫を両親に持つ武内宿禰は邪馬台国の饒速日の裔と言ってよい。その誕生日は成務天皇と同じとなっている。