猿田彦大神と比良夫貝

   猿田彦は、伊勢ヶ浜での漁の最中に、比良夫貝に手を挟まれて、三つの御霊となって溺れ死ぬのである。当時、伊勢ヶ浜の近くには阿邪訶という処があったのであろう。その比良夫貝について『記紀』の解説書は不明とするか「ツキヒガイ」としている。他方、神話の源流が南方島嶼にあるとする先学は「貝と猿」の逸話から「シャコガイ」としている。シャコガイは全くのお笑いである。九州以北の日本近海には「シャコガイ」は棲息しない。本居宣長『古事記伝』は、「平貝」とみて「タイラギ」を推察している。その通りで、比良夫貝は「タイラギ」である(図7)。

タイラギ
図7. タイラギ
タイラギの形は扁平で逆三角形をし、その平たい形から「ヒラブ、ヒランボ、ヒランボー、ヒランポ」ともよばれる。まさに「ヒラブ貝」なのである。タイラギの貝柱は、美味で高級な寿司ネタでもある。タイラギは逆三角形の先頂を海底に突立て、多数の足糸を土にからめて固着する。大きく成長し6年で30cm前後になる。深い海底に棲息しているので、採取には潜水する必要がある。また、貝柱の力は強烈で貝殻に挟まれると容易に手を抜く事はできない。『記』の描写する比良夫貝は、まさにタイラギなのである。

   猿田彦が海塩に沈み溺れたときの三御霊(底度久御魂、都夫多都御魂、阿和佐久御魂)の出生は、綿津神三神(底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神)の化成に通じる。綿津見三神は奴国の安曇氏の守護神である。猿田彦大神の三御霊は奴国王との関係性を明示するための挿話であるのだ。また、猿田彦大神の事蹟はここで終了するが、猿田彦は死ななければならなかったのだ。なぜならば、猿田彦は死んで神格を得たのである。海の神と成った御霊は伊勢ヶ浜に宿って「風」を吹かすのである(「神風の伊勢の海の生石に・・・」)。神風の詳細は神武東征段(第三章)で述べる。

   以上、考察した様に、邇邇藝が降臨後到った所を延岡市の五ヶ瀬川河口の笠沙御前とすれば、『記紀』が描写する地域は、実際の延岡市(空國、笠沙岬)、東臼杵郡(五十鈴川)および日向市(伊勢ヶ浜と細島)の地理と無理なく整合するのである(図5)。天孫降臨譚の全ての舞台は九州島の日向国にあるのだ。

 宮崎県の五十鈴川、伊勢ヶ浜、細島
図5. 宮崎県の五十鈴川、伊勢ヶ浜、細島